ご紹介

ホントノジブン プロジェクトについて

あなたは「自分の人生」を生きていますか?

人の目を気にしたり、自分の気持ちに蓋をしたりして、何のために生きているか分からなくなっていないでしょうか。それはもしかしたら「自分の人生」ではなく、「誰かのための人生」を生きているのかもしれません。

誰かと比べて自分のことが好きになれなかったり、誰かのために自分の望みを後回しにしたり。人生こんなもんだよと思いつつも、なんだかモヤモヤした想いを感じてしまう。それは、本当の自分を見失い、いつの間にか“他者を基準にすること”が当たり前になっているのが原因かもしれません。

豊かな人生を送ること、それは本当の自分を知り、本当の自分を好きになり、そして本当の自分を生きること。そんな豊かな人生を送りたいあなたのお手伝いをしたいという想いを込めてホントノジブン プロジェクトを立ち上げました。

本当の自分と向き合うことを個別に支援する1on1メンタリング、他者との対話によって見えていなかった本当の自分を見つけるための対話カフェ、自分の人生を振り返りながら本当の自分を探るインタビューなど、本当の自分を知り、好きなるための取り組みを、今後いろいろと提供していきます。

何かひとつでもピンとくることがあれば、それがあなたにとってのタイミングなのかもしれません。ぜひ、お気軽にお問い合わせください。

チームメンバー

池田 正夫 Masao Ikeda

ホントノジブン プロジェクト代表
ファシリテーター・対話ナビゲーター
シンガーソングライター

1970年生まれ。高校卒業までを長野県にて過ごし、大学進学と共に上京。

大学卒業後は、IT業界にてシステムエンジニアとして、金融機関向けのシステムを中心に数々のシステム構築、プロジェクトマネジメントを経験しました。その経験の中で、ITの知識もさることながら、チームとしての仕事の進め方の大切さ、コンピュータの仕事といえども結局は人と人との関係ですべての仕事が成り立っているということを学びました。

その後、一転して人材育成業界に身を投じます。きっかけは、プロジェクトマネージャーとしてマネジメントを経験する中で人の可能性を感じたこと、そして、自分に子どもができたことで、子どもの教育への関心が一気に自分ごとになったことです。

人材育成サービスを展開する企業に転職し、最初に手掛けたのは、経済産業省の起業家教育プロジェクトにて全国の小中高生向けにビジネスゲームを活用した授業を展開するという取り組みでした。そのプロジェクトの運営マネージャーを務めながら、時には講師として全国を回り、ゲームという手段を使いながら、世の中の仕組みを子どもたちに伝えていく経験はとてもエキサイティングなものでした。

学校教育の取り組みが一段落した後は、対象を社会人に変え、人材育成の取り組みを行ってきました。企業への研修サービス提供全般を統括するマネージャーを務め、研修の企画、運営をマネジメントする一方、自分自身も講師として新人から管理職まで幅広い対象に対して、コミュニケーション、リーダーシップ、マネジメントといった対人領域を中心としたテーマで多くの指導経験を積ませていただきました。

その後、人材育成コンサルタント・研修講師として独立し、企業研修だけでなく、企業向け人材育成コンサルティング、個人向けメンタリングなど、活動の幅を広げています。

2022年までは東京圏を活動の場としていましたが、2023年に本拠を長野県池田町に移し、新たなフィールドにて、これまでの経験を生かせないかと模索、「自分の人生を豊かに生きる」ことをお手伝いしたいという想いのもとに、「ホントノジブン プロジェクト」を立ち上げ、さまざまな取り組みを展開しはじめました。

人材関連の活動に取り組む一方、音楽活動にも取り組んでおり、シンガーソングライター「Masa」として、YouTubeにてオリジナル曲、カバー曲を発信しています。この活動にも「自分の人生を豊かに生きること」の一環として、強い想いを持って取り組んでいます。

YouTube シンガーソングライターMasaのチャンネルはこちら

池田 由起子 Yukiko Ikeda

インタビューライター

1970年生まれ。神奈川県横浜市出身。一男一女の母。インタビューライター。
2019年、ワークショップで訪れた岩手県陸前高田での体験を経て、自然の中に身を置きたいと思うようになり、下の子が大学に入学したのを機に、夫婦で本格的に移住を検討。北アルプスの山々と田んぼの景色に魅せられ、2023年、長野県の池田町に移住しました。

●絵本の読み聞かせ活動
我が子の誕生とともに絵本の魅力にどっぷりハマり、親子でせっせと図書館に通いました。就寝前に、布団に川の字になって寝転がり、子どもたちが選んだ絵本を1冊ずつ読み聞かせする時間は、とても幸せなひとときでした。

幼稚園・小学校でも読み聞かせ活動を行ない、物語の世界を子どもたちと楽しんできました。好きな絵本はたくさんありますが、一つ挙げるとすると、『まいごのどんぐり』になります。

どんぐりが大好きな主人公のコウくんは、「ケーキ」という名のどんぐりを特別大切にしていました。ある日、コウくんはうっかりケーキを落としてしまい、見つけられず、わんわん泣きながら帰ります。月日は流れ、大人になったコウくんは、ある日大きなどんぐりの木と会います。言葉を交わさなくても、コウくんはその木がケーキだとすぐに分かりました。そんな二人の再会のシーンは、読むたびに私の心を温めてくれます。

●小学校の支援員としての活動
2011年から10年間、小学校の特別支援教育支援員として、主に発達障害を持つ子どもたちのサポートを行なってきました。

きっかけは、子どもを妊娠中に出会ったトリイ・ヘイデン著『シーラという子』という実話に基づいた小説。少女シーラは、わずか6歳にして傷害事件を起こし、重い情緒障害児クラスの教師をしていた著者のもとに送り込まれてきました。決して話そうとせず、泣きもせず、何かをやらせようとすると怒り狂って金切り声をあげて大暴れするシーラ。困惑しながらも、著者がそんな彼女に辛抱強く接していくうちに、シーラが貧困、家庭内暴力、虐待によって深い傷を負っていることが分かっていきます。心を固く閉ざしたシーラが、一人の教師の愛によって少しずつ心を開いていき、信頼という絆で結ばれていく過程に深く感動したのを今でも鮮明に覚えています。

「私も子どもたちの心に寄り添う活動をしたい」

そう思っていた矢先に、小学校時代の担任の先生にバッタリ再会します。当時、小学校の校長をしていた恩師の先生に相談すると、「うちの小学校で支援員をしてみないか」と提案されました。「やってみて、もしこれは違うなと思ったらいつでもやめていいから」と、昔と変わらない軽いタッチで声をかけられたこともあって、とりあえず新しい一歩を踏み出してみることにしました。

支援員としての葛藤や失敗もたくさんありましたが、子どもたちと少しずつ心を通わせていく過程、子どもたちと一緒に笑い合う瞬間、子どもたちの成長を本人や先生、保護者とともに分かち合うひとときが大好きで、私はいつの間にか支援員の仕事にのめりこんでいきました。また、子どもたちと向き合うことは、自分自身と向き合うことでもあり、自分を知り、受容していく貴重な機会になりました。

●こども食堂立ち上げ
支援員をしていく中で、様々な子どもたちと出会いました。厳しい家庭環境にいる子、クラスに居場所がない子、発達障害の特性があって生きづらさを感じている子。そんな子どもたちと過ごすうちに、家庭や学校以外の第三の居場所づくりをしたいと思うようになりました。そこで、当時話題になっていた「こども食堂」の立ち上げをひそかに検討し始め、気になったこども食堂を見学し、主宰者の方々に話を聞きました。

すると、同じタイミングで、一緒に仕事をしていた小学校の先生に「実は、子どもの居場所としてこども食堂をやりたいと思っているんだけど…」と告げられました。子どもたちへの温かな眼差しと強い信念がある、とても素敵な先生だったので、一緒にこども食堂ができたらどんなにいいだろうと嬉しかった覚えがあります。地域の民生委員、児童委員、農家の方々の協力を得て、なんと3ヶ月後の2016年4月にはこども食堂を立ち上げることができました。

おそらく、全国にあるこども食堂の中でも、学校の先生が主体になったこども食堂というのは珍しいのではないかと思います。当時、どこのこども食堂も、こども食堂を必要としている子どもたちになかなかアプローチできないという課題を抱えていました。私たちは、学校で気になる子どもや保護者に直接声をかけてこども食堂につなげることができました。

こうして、学校と地域と家庭が連携した、新しい形のこども食堂が誕生しました。 何をしてもいいし、何もしなくてもいい。自由でのんびりとした空気が漂う居心地のいい場所で、大人も子どもも思い思いに過ごします。徐々にリピーターが増えていき、学校で子どもたちに会うと、「今日、こども食堂に行くね!」と声をかけられました。

校長先生をはじめ担任の先生方も、仕事帰りにこども食堂に顔を出してくださり、子どもたちと一緒に遊んだり、夕飯を食べたりして、学校とはまた違った、ゆったりとした時間を過ごしていました。お母さんたちも、家事や子育てからいっとき解放されて、ほかの参加者や先生と楽しそうに談笑する姿が見られました。

●インタビューライター
大学時代に夢中になった応援部の吹奏楽団の活動。4年間、野球をはじめ、体育会の試合応援に行きました。また、年に一度の定期演奏会では、座奏とドリル(マーチング)を披露しました。もう二度と楽器を演奏することはないだろうと思っていましたが、2016年、大学時代のOBOGバンドが結成され、夫婦で参加して、20数年ぶりに楽器を演奏する機会に恵まれました。

私はそのOBOGバンドで広報になり、「団員にインタビューしてWeb上に記事を掲載してみたい」と思いつきました。インタビューの時間は約30分。午前と午後の練習の合間の昼休みに、昼食を食べながら行なうことにしました。そして、インタビュイーの選別。テーマ、人の組み合わせを考えるのも楽しいものでした。

そのインタビューをスタートしてまもなく、今度は息子の中学で、抽選で広報委員になり、さらには広報委員長まで引き当てました。正直ショックで落ち込みました。ただでさえ忙しい時期に、よりによって委員長を引いてしまう自分の悪運の強さを呪いました。が、「こうなったら、かねてより写真集化していて読むところがほとんどなくて面白くないと思っていた広報誌を、自分がやりたいように変えちゃえ」と腹をくくりました。

養護教諭に思春期の子どもの接し方を聞き、文化系・運動系それぞれの部活の顧問の先生に部活の様子や思いを聞き、校内合唱コンクールの優勝クラスの指揮者・伴奏者・担任の先生に優勝に至るまでの思いやドラマを聞き、記事にまとめました。すると、嬉しいことに、学校の様子が分かってよかった!面白かった!と保護者や生徒たちから好評を得ました。

そんな中、我流でやってきたインタビューを、一度きちんとプロのもとで専門的に学びたいと思うようになりました。すると、駅の構内でポスターが目に留まります。それが、編集ライター講座の広告でした。まだ、仕事にしようとは全く考えていませんでしたが、興味のおもむくままに受講しました。さらに、インタビュー教室(聴くワークショップ)にも参加。話し手のエネルギーの波を感じられるようになったのは、この教室を主宰している西村佳哲さんのおかげです。

「人は全身で表現している。歌を歌うように」

話の内容に囚われず、話し手の全身に意識を集中して感じると、それがはっきりと分かりました。

2020年からは、フリーランスのライターとして個人様や個人事業主様向けにインタビュー本の制作、ランディングページの文章作成、ホームページの文章作成などをさせていただいています。

過去のエッセイやインタビュー記事はこちらです。